フランシスコ・ゴヤ
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エンフォレックスで開講しているスペイン語+美術史を学ぶコースを受講すれば、フランシスコ・ゴヤの送った人生と作品の全てが学べます。このコースが学べるのは、次のロケーション校舎です。: バルセロナグラナダマドリードサラマンカ

スペイン語スキル上達のみならず、フランシスコ・ゴヤの「マドリード、1808年5月3日」を始めとする名作の数々やその他スペインを代表する芸術家の作品の全てを学び、スペイン国内に無数とある美術館に貯蔵されている世界の名作へじかに触れるチャンスです。

スペイン語+美術史を学ぶコースでお会いできることを願いつつ、それまでの間、このスペインを代表する真の絵筆の巨匠についてさらに深くご紹介していきましょう。

フランシスコ・ゴヤ: 生涯

私たちが100パーセントの確信を持って言えることは、17世紀スペインから出た最も有名な画家は、のんきに暮らせなかったということです。ゴヤの送った波乱万丈の人生は、彼の作品をより心打つ作品にし、彼の苦悩をさらに強くしたのです。

1746年、アラゴンに産声をあげたフランシスコ・デ・ゴヤ(Francisco de Goya)は14歳でとある芸術家に弟子入りをし、1764年18歳の時、創造的で野心溢れるゴヤは明るく光輝くマドリードへ向かいます。5~6年滞在したマドリードとその後に1年間滞在したイタリアでの数多くの偉大な巨匠との出会いは、彼の芸術家としての将来の作風に大きな影響を与えました。

ゴヤが受けた最初の委託は、数々のマドリードの教会の壁にフレスコ画を描くことでした。1780年代に入ると一連の鮮烈なタペストリーの下絵を独自で手がけ始め、非常に好評を得ます。そして1780年代も終わりに近づくと国王カルロス4世の宮廷画家に指名され、彼の人生の中で最も安定した時が始まりました。彼の持つ闘争心は1798年に手がけた「裸のマハ」(La Maja Desnuda)に表れています。この上なく見事に描かれたこの絵は見た者に衝撃を与え、「着衣した」この魅惑的な女性も描くようゴヤに要求。彼の答えは頑固たるものでした。ゴヤは着衣したマハを描きましたが、マハをオリジナルと全く同じポーズの「着衣のマハ」を描いたのです。彼の手がけた中でも特に有名になったこの対の作品は、マドリードのプラド美術館で目にすることが出来ます。

art francisco goya
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1792年、ゴヤに悲劇が襲います。不治の病で聴力を喪失。その後、彼の作品はより暗くなっていきます。1808年から1814年、フランス軍のスペイン占領下は悪夢の極みのような時代と彼自身の不安定な精神状態が組み合わさり、美術史上最も不気味で衝撃的、不思議な作品を描きました。フランシスコ・デ・ゴヤは、純粋で優雅、宗教的な目的とは対照的に、内側に抱えた不安や感情を自己表現する方法として芸術を使用した最初の芸術家の一人です。

晩年の4年間、ゴヤは興味深い石版画を手がけにフランスで過ごし、1828年この世を去りました。

フランシスコ・ゴヤ: 芸術スタイルと影響

ゴヤの作品が受けた影響については、多くの説があります。多くの芸術家が同年期の作品から要素を直接取り出し取り入れましたが、ゴヤの手がけた最も有名な作品は、鑑賞者には全く理解できない領域である心の内側から来ています。しかし、彼は時代を超えた苦悩する人間の魂を完璧に捕えました。

スランシスコ・ゴヤはマドリードへやってきた時、宮廷画家として働いていたフランシスコ・バエウの影響を受け、また17世紀を代表する巨匠、レンブラントやベラスケスの作品からも強いインスピレーションを受けました。

1792年聴力を失った後、ゴヤのスタイルはよりユニークになります。彼は、彼自身が生き抜いた激しい戦争シーンを再現し始めます。ゴヤを代表する作品、「5月2日」と「5月3日」は、1814年、フランス軍がスペイン到着後に描かれました。両方の作品には、この時代にスペイン人が苦しんだ恐怖や残虐行為がそのまま表れています。太い線や目立つ色、細心の注意を払った明暗法を巧みに使い、ゴヤは「5月3日」をより冷淡で記憶に残る作品へと仕上げています。これらの作品は今日マドリードのプラド美術館で目にすることができます。ゴヤの3連のエッチングと多少超現実的な作品も同時期に描かれました。'Los Caprichos'や'Disparates'、'Desastres de la Guerra'は、戦時の不安と、後にさらに目立つゴヤ自身の精神的苦悩を融合して描かれています。

彼のひらめきで描かれた壮大な芸術作品'黒い絵'(Las Pinturas Negras)は、凝視しがたい作品であると共に現実的な説明の付かない作品です。これらのひらめきを一体どこから得たのかは、ほとんど理解不可能です。ゴヤの家の壁を覆っていた一連の暗く不穏な14作品は、ゴヤの死後このように名付けられました。これらの状況からこの14作品が彼自身のために描き、表現した狂気は聴力を失って以来苦しんだ結果進行したものなのです。

黒い絵やその他多数のゴヤの作品は、スペインのマドリードで学ぶことを選択してプラド美術館でどうぞ!

フランシスコ・ゴヤ: 代表的な作品

  • 裸のマハ(La Maja desnuda、1798年: プラド美術館、マドリード)
  • 着衣のマハ(La Maja Vestida、1798年: プラド美術館、マドリード)
  • Los Caprichos (1799年)
  • 戦争の惨禍(Los Desastres de Guerra、1810-15年)
  • マドリード、1808年5月2日(El 2 de Mayo、1814年: プラド美術館、マドリード)
  • 我が子を食らうサトゥルヌス(Saturno Devorando a su Hijo、1819-23年:
    プラド美術館、マドリード)
  • El Perro Semihundido (1821年: プラド美術館、マドリード)