ディエゴ・ベラスケス
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エンフォレックスで開講しているスペイン語+美術史を学ぶコースを受講すれば、ディエゴ・ベラスケスの送った人生と作品の全てが学べます。このコースが学べるのは、次のロケーション校舎です: バルセロナグラナダマドリードサラマンカ

スペイン語スキル上達のみならず、ベラスケスやその他スペインを代表する芸術家の作品の全てを学び、スペイン国内に無数とある美術館に貯蔵されている世界の名作にじかに触れるチャンスです。

スペイン語+美術史を学ぶコースでお会いできることを願いつつ、それまでの間、この魅力的な芸術家についてさらに深くご紹介していきましょう。

ディエゴ・ベラスケス: 生涯

「ベラスケス」の名を聞けば、スペイン芸術界を代表する最高レベルの作品を軸に話が展開しているに違いないと思われるでしょう。ディエゴ・ベラスケスの死から4世紀、彼は私たちの記憶から姿を消えることはありません。世界一流の美術館に納められている彼の作品を一目見ようと毎日多くの鑑賞者が世界各国から訪れ、その素晴らしさに葉書やポスターを買い求めます。現在、スペイン・バロック美術を代表する偉大な芸術家として生き続けるベラスケス。彼のこの力強い作風はどのような背景から生まれたのでしょうか?

ディエゴ・ベラスケスは、1599年、セビリアの地位の高い家庭に生まれました。弱冠11歳、当時有名なマニエリスムの画家、ベラスケスの芸術スキルのつぼみを認めたであろうパチェーコに弟子入りしました。1615年、見習い期間を終えたベラスケスは、興味深いことに自然主義の作品を手がけ始めます。それから3年後、パチェーコの娘フアナと結婚。2人の娘に恵まれますが、1人を幼少期に亡くしてしまいます。

art diego velazquez
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1623年24歳の時、芸術家としてのキャリアをより深くするためマドリードへ引っ越したベラスケスは、すぐに成功を収めます。彼の最初に手がけたのは王宮からの依頼でした。1929年に手がけたスペインの若い国王フェリペ4世の肖像画が評判となり、すぐに宮廷画家の指名を受けます。その後もベラスケスは多くの美しく仕上げた肖像画のみならず、リアリズムとファンタジーを融合させ境界線をぼかすことによって彼の芸術ワールドへと引き込む神話画も描き始め、王族を大喜びさせ続けます。

ディエゴ・ベラスケスはその後、数年間イタリア芸術を学びに渡伊し、当時イタリアの巨匠、ティツィアーノやティントレット影響を強く受けました。マドリードに戻ると、同時にベラスケスの芸術家としての収穫期が訪れ彼を代表する偉大な作品の数々を手がけました。彼は手がけた作品が王の謁見室に置かれることを誇りとすると共に、風変わりなタッチを作品にさらに加え、大胆にも芸術伝統を捨てていきます。ベラスケスは1660年生涯を閉じるまで宮廷画家の仕事を続けました。

ベラスケスの手がけた最も貴重な作品をじっくりと拝見したいのなら、世界でも有数のベラスケス・コレクションを誇るマドリードのプラド美術館ははずせません。

ディエゴ・ベラスケス: 芸術スタイルと影響

ベラスケスの作品は、スペイン・バロック美術を最も完璧に代表した作品と広く認められています。ルネッサンス様式の明るい光や正確な遠近法を用いた筆運びから変化を強調したバロック様式では、事柄がどのように見られるべきかを表現、人間の本質を好みます。

明暗法の発展は、影が照明部分と同様に重要だということを意味しました。隠された、またはハイライトされた事柄が、結果的に対比または露呈できるのです。この効果をベラスケスは頻繁に用いました。

パチェーコに弟子入りしていたトレーニング初期、ベラスケスは彼の描く作品独特の特徴となるイタリア・リアリズムの基礎を学びます。

その後彼の芸術スタイルは、自然主義者が物事を捕える方向に少し方向転換し始めます。例えば、1619年に描かれたエピファニー(Epiphany)では、この有名なシーンを伝統的なマリアとイエスとは対照的にベラスケス自身の家族を用いて再現しました。 このことでこのシーンを一般化し、各家庭に関連付けさせる働きをしています。

イタリア旅行中、彼はベニスの巨匠らの強い影響を受け、それはすぐに彼の色使いに表れました。有名な1957年のラス・メニーナス(Las Meninas)や1635年のブレダの開城(Surrender of Breda)はその好例です。国王フェリペ4世の勝利の戦いを祝ったベラスケス後期の作品は、王の謁見室に飾られます。ベラスケスは、流血の武力侵略であった戦争とは対照的に人情に焦点を当てて描いたその作品は、非常に心を打ちます。4ヶ月に及ぶ攻撃後オランダ要塞がついに降参したのでスペインの指揮官、スピノラの顔は哀れみであふれています。

ベラスケスは、自分の手がけた多くの作品、特に後期の作品に自分自身を登場させました。これは、芸術家の作品と切り離せない強い結びつきを強調すると同様に、ベラスケス自分が自分を地味な一画家ではなく、むしろ気高い人物と見ていたということを暗示しています。

ただ派手で不自然で形式的な伝統の宮廷肖像画家とは対照的に、ベラスケスは宮廷の真の姿を強く主張しました。宮廷の道化師や小人を描く彼の選択は、彼の人としての形の研究を助長しています。厳粛な芸術形式を認めさせるために本来なら誰かをジョーカーとするところを、ベラスケスは現実から思いつきます。 矯人セバスティアン・デ・モーラ(1645年: プラド美術館、マドリード)は、誰もが描かれる価値があると考えたベラスケスを立証する好例です。

統一と分離の両方を用いたベラスケスの作品の背後にあるパワーを私たちは否定できません。

ディエゴ・ベラスケス: 代表的な作品

  • 無原罪の御宿り(The Immaculate Conception 、1618年: ナショナル・ギャラリー、ロンドン)
  • The Epiphany (1619年: プラド美術館、マドリード)
  • バッカスの勝利(The Triumph of Bacchus 、1629年: プラド美術館、マドリード)
  • 十字架上のキリスト(The Crucified Christ 、1632年: プラド美術館、マドリード)
  • The Infant Prince Baltasar Carlos Riding a Horse (1634年: プラド美術館、
    マドリード)
  • ブレダの開城(The Surrender of Breda 、1635年: プラド美術館、マドリード)
  • 矯人セバスティアン・デ・モーラ(Dwarf sitting on the floor 、1645年:
    プラド美術館、マドリード)
  • 女官たち(Las Meninas、1657年: プラド美術館、マドリード)