ペドロ・アルモドバル
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ペドロ・アルモドバルの人生

スペインで最も多くの作品をこの世に送り、最も自由で象徴的な映画監督、ペドロ・アルモドバル(Pedro Almodóvar)の作品は、デビュー当初から映画好きの目に留まりました。映画監督としてのキャリアに専念するため、16歳の時にマドリードへ上京しています。誰も頼らず、貧乏暮らしを乗り切ろうとあらゆる仕事をして何とかお金をため、初めてのスーパー8カメラを手にしました。当時スペインでは独裁者フランシスコ・フランコが、マドリードの公式映画学校を封鎖していたため、ライティング、シアター・パフォーマンス、映画の基礎は独学で学ばなければなりませんでした。

1975年のフランコの死に続いて起こった民主主義の回復で、独裁政治後の年にスペインの若者が起こした、特に今までに取って代わるものやパンク・カルチャーを表した運動のパイオニア的存在のひとりとなったのがアルモドバルでした。当時、彼はライティング、演技、監督をかじり、黒いメーキャップをし、バンクバンドの一員でもありました。1980年、彼の初めてのノーカット商業映画、ペピ・ルシ・ボム・イ・オトラス・チカス・デル・モントン(Pepi, Luci, Bom y otras chicas del montón)で監督デビュー、止めようのないキャリアをスタートさせたのです。

pedro almodovar
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ペドロ・アルモドバル映画の特徴

80年代、スペイン運動の突出した監督として現れたアルモドバルの映画は、ありきたりの陳腐な表現からかけ離れていることが判明しています。スペイン社会や彼自身の生活体験に端を発しているアルモドバル作品は、自伝的な要素を誇りとしています。スペインの50年にも及ぶ独裁政治の間じっと隠れ、勢い良く前に飛び出したアルモドバルは、伝統的家庭や政府、カトリック教会の腐敗に対してメッセージを送っています。

彼はまたスペイン社会、特にマドリードの破壊問題にもフォーカス。検閲テーマである警官買収、ホモセクシャリティ、ドラッグ使用、性問題、エイズ、買収、虐待等、タブーとされることもためらうことなく取り上げます。社会を悩ます深刻な問題を批判しながらも、見事な手さばきで深刻にまたは劇的になりすぎない作品へと仕上げます。彼の作品にはある種のユーモアーセンスは、彼のキッチュな魅力、風刺、パロディー、ポップアート、ダーク・コメディーから湧き出てくるものです。

スペインの中流階級や落伍者は、アルモドバルにいつまでも記憶に残る個性の富をもたらしました。彼の描く主人公の多くは、差し迫った不幸に向き合う強さを持つ、問題を抱えた一般主婦らです。 限界ぎりぎりを進む性格は、売春、服装倒錯者、麻薬中毒者を主役とすることにも表れています。

ペドロ・アルモドバルの映画

ペドロ・アルモドバルの映画作品は、オスカーやゴールデン・グローブ賞、ゴヤ、カンヌでなど世界一流映画祭で数々の賞を受賞しています。スペイン映画は国際レベルへと引き上げたアルモドバルの果たした役割は極めて重要です。

ペドロ・アルモドバルの作品の中でも、はずすことの出来ない作品は:

  • Pepi, Luci, Bom y otras chicas del montón
  • グロリアの憂鬱(¿Qué he hecho yo para merecer esto?)
  • 神経衰弱ぎりぎりの女たち(Mujeres al borde de un ataque de nervios)
  • アタメ(Átame)
  • オール・アバウト・マイ・マザー(Todo sobre mi madre)
  • トーク・トゥー・ハー(Hable con ella)
  • ボルベール「帰郷」(Volver)