パブロ・ピカソ
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エンフォレックスで開講しているスペイン語+美術史を学ぶコースを受講すれば、パブロ・ピカソの送った人生と作品の全てが学べます。このコースが学べるのは、次のロケーション校舎です: バルセロナグラナダマドリードサラマンカ

スペイン語スキル上達のみならず、パブロ・ピカソを代表するの「ゲルニカ」(国立ソフィア王妃芸術センター、マドリード)や「ラス・メニーナス」(ピカソ美術館、バルセロナ)を始めとする名作の数々やその他スペインを代表する芸術家の作品の全てを学び、スペイン国内に無数とある美術館で世界の名作へじかに触れるチャンスです。

スペイン校舎のスペイン語+美術史を学ぶコースでお会いできることを願いつつ、それまでの間このスペインを代表する真の絵筆の巨匠についてさらに深くご紹介しましょう。

パブロ・ピカソ: 生涯

世界中にその名を知られ、現代芸術界の様々な分野と運動にゆかりある存在のパブロ・ピカソ(Pablo Picasso)。ピカソの手がけた芸術は時のトレンドをと言うよりも、彼自身の個人的な立場と気分によって大きく移り変わって行きます。この芸術の天才が実際にたどった人生をどのぐらい知っていますか?

1881年、マラガに生まれたピカソは、20歳頃まで実は父方の苗字であるブランコで知られていました。10歳の時、家族と共にガリシア地方のラ・コルーニャに移住したピカソですが、その2年後の1893年家族はバルセロナへ再び移住しました。その4年後、ピカソの持つ天性の創造的な「科学と慈愛」は皆をあっと言わせ、マドリードで開かれた国展で佳作、マラガでの展覧会で金賞を受賞します。これがきっかけでマドリードの国立アカデミーへ入学しますが、ピカソは型通りでアカデミックな芸術的表現が好きになれず、1899年にはバルセロナへ戻ります。

1900年から1904年の間、ピカソの作品は哀愁漂う青いトーンが特徴的な「青の時代」に入ります。親友の自殺でスタートするこの時期、彼の人生の中で非常に陰気なものとなしました。彼は手がけた作品に母方の苗字である「ピカソ」とサインし始め、続く4年間は定住先を持たずにパリとバルセロナ間を行ったり来たりします。パリに定住していた1905年から2年間は、キュービズムの軌跡が作品に表れ始めた「ばら色の時代」です。

親友Braqueと共に、ピカソは彼のトレードマックとなったキュービズム運動 -単色に色付された位置を変え再配列した人間の姿の実験と育成- の最前線にいました。ピカソはまたコラージュ、彫刻そして鉛筆スケッチまで範囲を広げました。

1917年から1930年代中頃まで、ピカソの恋愛は芸術作品に最も影響を与えたようでした。幸せな時は色と活気溢れる陽気な作品、1920年代によく出くわす悲しい期間はより暗く非現実的な作品となりました。

20世紀に生まれた最も有名な絵画のひとつは、1937年ピカソが手がけた作品です。ゲルニカ(Guernica)は、いささか心をかき乱すとは言わないまでも、意味を成さない戦争に対する反応を描いた感慨深い作品です。これは、同年バスク国のゲルニカを爆撃したドイツに対するピカソの直接反応でした。

ピカソは超現実的運動に全く賛同しなかった一方、年を取るごとに彼の作品は認識できる人間の姿が形状に置き換えられ、より超現実的になっていきます。彼は晩年を南フランスで過ごし、1973年にこの世を去ります。

スペインでスペイン語を学べば、パブロ・ピカソの一連の作品をマドリードの国立ソフィア王妃芸術センター、もしくはバルセロナのピカソ美術館で名作をじかに鑑賞するチャンスです。

パブロ・ピカソ: 芸術スタイルと影響

芸術的発展の最先端、パリでの生活により、ピカソは近代美術界の巨匠らと出会い多くを学びました。特にフランス画家セザンヌの作品にピカソは興味を持ちます。

しかしピカソは革新者であり、彼の手がけた作品の特徴の多くは、全く独創的なスタイルでした。Georges Braqueと共に、1907年から1908年の間新しい芸術スタイルであるキュービズム発展の最先端にいたのがピカソです。彼が連続的に再成形して作り直した形は、生涯の間作品に突出し残り続けました。

キュービズムは、全近代美術運動にとって大切なブロックとなったのです。 実物(特に人間の姿)を砕き一致させるという考えは、将来の抽象的で超現実主義を唱える画家らの道を切り開きました。ピカソのキュービズムは、トゥロカデロ美術館で見たアフリカ美術に端を発しています。彼がそこで目にした人間の姿の大胆な表現が、彼自身のキュービックスタイルの発展に役立ったのです。最初に出来上がった真のキュービズム例は、1907年ピカソが描いた「アビニオンの娘たち」(Les Demoiselles D'Avignon)と考えられています。

キュービズムが発展すると、ピカソはキュービズムから本質を取り入れた彫刻やコラージュへと移行します。ガラスや新聞が大革命を起こしたようにピカソは毎日懸命に取り組んだおかげで、彼のコラージュや彫刻の方法は認められ、キュービズムはその解析形から統合的なキュービズムへと発展したのでした。

年を取るほどに、認識できる形をより象徴的にするために彼はより明るい色と本質的に異なる物体を使用し、ピカソはより抽象的で超現実主義的な世界へ入り込んでいきました。彼の手がけた晩年の作品が何の影響を強く受けているかは分かりえますが、彼のキュービズム・ルーツの自然な発展として考えられています。

パブロ・ピカソ: 代表的な作品

  • 青衣の女(Mujer en Azul、1901年: 国立ソフィア王妃芸術センター、マドリード)
  • 鳩と少女(Child with a Dove、1901年: ナショナル・ギャラリー、ロンドン)
  • アビニオンの娘たち(Les Demoiselles D'Avignon、1907年:
    メトロポリタン美術館、ニューヨーク)
  • Bottle of Vieux Marc, Glass, Guitar and Newspaper (1913年: テート美術館、
    ロンドン)
  • Instruments de Musique sur un Table (1925年: 国立ソフィア王妃芸術センター、マドリード)
  • ゲルニカ (Guernica、1937年: 国立ソフィア王妃芸術センター、マドリード)
  • ゲルニカ製作 (1937年: 国立ソフィア王妃芸術センター、マドリード)
  • 女官たち(Las Meninas、1957年: ピカソ美術館、バルセロナ)
  • El Pintor y La Modelo (1963年: 国立ソフィア王妃芸術センター、マドリード)